「ヒットこそすべて〜オールアバウトミュージックビジネス」朝妻一郎

vozrecords2008-10-30

 9年ほど前、音楽出版社ソニーミュージックパブリッシング」に勤務し始めたとき、「なぜ音楽出版と呼ぶかというと、もともとこのビジネスが楽譜を印刷して売るところから来ているのだ」と説明されて、「へ〜」と思ったが、当然リアリティはなかった。僕が物心ついた頃はすでにレコードがばんばん売れていて「音楽ビジネス=レコード」みたいに刷り込まれていたのだ。レコード会社に勤めていた頃も音楽出版社はレコード会社の”サブ”的な存在だと思い込んでいた。

 バラエティブックっぽい編集になっていて読みどころの多いこの本だが、個人的には「ティン・パン・アレイの歴史」が興味深かった。「楽譜を売る」時代から今にいたるまでの流れがわかりやすく書いてあり、かつ具体的な事例を数多く入れることでリアリティもある。
 ひとつの曲がありそれを世の中に広めるという商売、ということでは今も昔も変わらない。驚いたのは、楽譜でも1800年代終わりには100万部を超えるヒットがあり、当時、すでに曲を歌ってもらうために、有力な歌手や関係者に強力なプロモーション(賄賂も含め)をし、やらせ(劇場の客席に”仕込み”の子供を入れて、歌が終わると感激したかのように立ってその曲のサビを何度も歌って、他の観客に曲のフレーズを刷り込むのだ)もどんどん行われていたということだ。
 「楽譜を売る」とは、どこか今とは違ったのどかなイメージを勝手に持っていたのだが、全然、現在ともひけをとらない熾烈なプロモーション、マーケティングが100年以上前から行われていたわけだ。
 当時、レコードはこどものおもちゃのよう存在で、一部の音楽出版社が曲の宣伝のため少し使う程度だったらしい。それがエンリコ・カルーソという歌手のレコードが爆発的に売れたことで、流れが大きく変わる。1903年のことだという。
100年以上前から、曲を売るビジネスはあり、それを広めるのに最も力があるもの(ミュージカルであり、レコードであり、ラジオ、映画、テレビ、、)が時代とともにかわり、その度に業界の流れというか、勢力図も変わっていったのだ。
 CDから配信へという流れも、この音楽ビジネスの歴史を振り返れば、いくつかの大きな変革のうちのひとつに過ぎない、ともとらえられる。ただ、僕も含めて関係者の多くがパッケージにあまりに慣れ親しみすぎて、とまどっているのだが、、。

 だが、ここに曲があって(もちろん何らかの魅力やパワーのあるもの)、それを多くの人たちに広めるためにありとあらゆる手を尽くす、という基本は変わらないはずだ。僕のような「アルバム」に慣れ親しんだ世代で、しかもレーベルをやっいる人間は、アーティストとのやりとりがどうしても、アルバムやミニアルバムを前提にした、複数単位のものになってしまう。でも、今後は「1曲単位」でやる必要もあるだろう。
 
 今後のアーティストは、これぞという「1曲」を徹底的に広めるか、逆にアーティスト自身のキャラクターや面白さを徹底的に強調していくか、どちらかに振り切らないとむずかしいのかもしれない。中間は、きっとない。(もちろん、これはちゃんと音楽でビジネスしたい場合だ。大きくは稼げなくても、自分らしいスタンスで好きなスタイルの音楽をやり続けることは、昔より可能になったし、そういう人にも個人的には頑張ってほしいと思う。)

 著者の朝妻氏は、音楽ファンとしてのモチベーションが変わることなく、音楽ビジネスの最もダイナミックで魅力的な時代を最前線で体感され大きな成果を生んだ希有な人物だ。「ヒット」の魅力にとりつかれ、そのアンテナがぶれることがなかったのだろう。強い熱意が音楽の神様に伝わった、数少ない人なのかもしれない
 今後、彼が経験したような、ダイナミズムは音楽業界にはきっと起きないだろう、と思う。でも、うらやんでもしようがない。「曲もしくはアーティストの存在が人々に広まってゆく」ことの快感や感動は今後も変わらないと信じるだけだ。