資本主義社会の崩壊と音楽ビジネス

 そういうタイトルをつけたくなっただけで、そんなたいした内容じゃないけど、、。

 リーマン・ブラザーズの経営破綻が大々的に報じられていた頃、スティグリッツという著名な経済学者がこれは市場主義社会にとって「ベルリンの壁崩壊」に匹敵するような象徴的な出来事で資本主義社会の崩壊を示している、というようなことをテレビで語っていて、何か茫漠とした不安感を、でもまだどこか他人事のような感覚で聞いていた。じゃあ、資本主義社会の拡大に乗っかって繁栄してきた音楽ビジネスはどうなっていくんだろう、とも思った。
 
 そう考えると、ほぼ時を同じくして報じられた小室哲哉氏の事件も、単に一人の大ヒットプロデューサーの栄光と失墜とかいったことではなく、ここ何十年もの間繁栄してきた音楽ビジネスのシステムそのものが崩壊しているのだという、大きなサインとして受け止めるのが正しいのかもしれない。

 ただ、資本主義、市場主義社会の崩壊、と言われても、それに取って代わる革新的なシステムはないわけだから、例えるなら、相当年季の入ったあちこちガタがきている車に乗りながら、安全運転に気をつけるような賢明なやり方を探っていくしか、今のところはないのだろう。
 音楽ビジネスも市場規模の大幅な縮小はもはや避けられない(ミリオン、ダブルミリオンとかが連発された時代の方が、本来の音楽の市場規模からしたら過剰に膨らみすぎたわけで、その規模を維持しようとしてきた、さまざまな「無理」がここへきて、リバウンドを生む結果となったのだろう。)わけで、そうなっても、もしくはそれに変わる何らかの「価値観」は生み出していかないと、これからはしんどいんじゃないかなあと思う。
 業界の外から見たら、なんらかの「魅力」を放ち続けている産業であってほしいし、従事する者にとってはやり甲斐のある仕事であってほしい。なんかきっと「お金」以外の価値観もとても大事になっていくような気がする。それとも、こんな考えは奇麗ごとに過ぎないのだろうか。


 それにしてもアメリカの音楽不況は日本にかなり先行して深刻なものらしく、LAから帰ってきた知人が有名な大型CDショップが次々と閉店していて、電気量販店のしかも奥で(店頭のメインはゲーム)ひっそりと売られていると言ってたし、ネットニュースでマンハッタンのヴァージンメガストアが来春閉店し大型CDショップが完全に消えると報道していた。エンタテインメントビジネスの中心地、マンハッタンとハリウッドから大型CDショップが消えていくというのは、象徴的なことだ。アメリカは日本より音楽配信が定着しているからぜーんぜん問題ない、ということではないだはずだ。


 とにかく、未だかつて経験したことのない世界にいま向かっている訳で、(五木寛之氏は近著「人間の覚悟」で第一章の冒頭でいきなり、いまの世の中について「地獄の門がいま開く」と書き出していて、「そ、そんな、、」とビビったけど)確実な対処法などないし、処方箋のようなものは人によってきっと異なるだろう。やれることは、ひとりひとり一生懸命考えつつ、しかも周りの信頼できる人たちと話し合いながら、こっちだ思う方向に向かっていくことなのだろう。