資本主義社会の崩壊と音楽ビジネス(2)

 性懲りもなく昨日の続きを、、。

「ポピュラー音楽の世紀」(中村とうよう著。岩村新書)という本を最近読み直した。
 これは20世紀を「ポピュラー音楽の時代」と定義して、主要な国(音楽史的に)で起こった音楽の動きをまとめた読み物だ。クラシックなどは絵画などと同じく、純粋芸術で個人の才能によるもの。民謡、民族音楽は一般の人たちが日々の暮らしの中で生み出したもの。そして、ポピュラー音楽はその両方の要素を持っている。個人の才能で生み出されるが、同時に大衆の聴きたい音楽を大衆に変わって作り出されるものでなければならない、と冒頭に明確に提示している。


 ともすると「売れ線」か「(売れ線じゃない)アーティスティック」という分類がされてしまうものだが、肝心なのは「本当に大衆が聴きたい音楽なのか?」ということで、これは今後、音楽業界がよりシビアに、でも先行きが読めない時代になる今、見直すべき原則だろう。


 他に読んでいくなかで、心に引っかかってきたのは「歌も音楽も本来は芸能だった」という部分だ。もともと、音楽はショウやエンタテインメントの一部として大衆に広まっていたものだったのが、音楽の商品化(レコードなど)が進んでゆく中で「音楽」だけ切り離されて広まっていった、という事実。著者は、そうであっても「演劇性」を歌にどれだけ内在化されるかが、聴き手の心に伝える重要な点ではないかと考察し「芸能の根っこを完全に断ち切ってしまった純粋な”音楽”などというのは、大衆の心には届かないのではないだろうか。」と言い切っている。


 また、レコードビジネスとまったく合致した形で推移してきたアメリカの音楽のほうが、世界のなかでは異例なのだ、という視点も僕には印象強かった。他の国では、大衆の中から生まれた音楽の流れが音楽ビジネスの中で生きているが、アメリカの場合は”資本の論理が貫徹されたレコードビジネス”の「企業担当者のアイディアだけで捻りだされる」「なんの根っこもない音楽」だと。よって、当たれば大きいけど、はずれた数ははかりしれない。それは大衆の声が反映されてないからだ、ということなのだろう。


 そこで、僕は自分自身のことを考える。僕が意識的に音楽を聴き始めたのが、1970年代中頃〜後半。日本ではニューミュージックというジャンルがクローズアップされていったころだ。歌謡曲でもフォークでもなく、洋楽の影響をサウンド的に大きく取り入れた「都会的なポップス」だ。僕も当然、”こっちがかっこいい”と思って夢中になった。アメリカではディスコやAORといった「都会的な」ジャンルが現れ、60年代や70年代前半にハードなものやアーシーなものをやっていたロック・アーティストもどんどん聴きやすく「都会化」した作品を生んでいった頃だ。
ストーンズロッド・スチュワートがディスコっぽいリズムを取り入れたり、ドゥービー・ブラザーズAOR色を強めた作品を作った。ちなみに僕はどれも好きだけど。)

 しかも、この「都会」はリアルなものではなく、きらびやかなロマンティックなイメージを換気させる、空想の「都会」だ。今考えれば、資本主義社会が一般人に提示した、甘い夢の世界だったのかもしれない。

 そんな音楽を入り口にした僕は、”なんの根っこもない音楽”を愛好し続け、川で言うなら濁った底流には目を向けず音楽の「上澄み」のようなものをひたすら追い求めていたのかもしれない。ジャンルは問わずロマンティックで洗練されたものを。根源的なパワーより、センスやムードのようなものを。

 ただ、ディスコやAORなどは今の時点では十分「ダサイ」ものになってしまった。かえって僕よりもう少し下の世代、「ネオアコ」「クラブ・ミュージック」「渋谷系」などを経由した世代は業界にも多いし、音楽的な”センス”は全世代を通じもっともすぐれているだろう。今の30代だ。(厳密に言えば30代中頃から40才ちょっとくらいがコアなところか)
センスの良さと人間的なアグレッシヴさというのはどうしても相反してしまい、業界内でのパワグルな団塊〜ちょっと下世代にパワーゲーム(?)に負けておさえこまれがちなのが問題だが、、。

 僕のちょっと上から30代くらいまでの人たちはいわば「センス」至上主義の世代だろう。ただ、僕も含め、そういう嗜好を維持できたのも、経済的にも精神的にもそういう余裕があったからだというのは否めない。僕は自分を資本主義社会にささえられた、典型的な資本主義的な音楽愛好家だったのだとあらためて思い知る。

 昨日書いたように、資本主義社会が崩壊し「地獄の門が開いている」のなら、音楽業界で働く僕の世代から30代の人たちは今後どういうスタンスをとっていくべきなのだろうか。「センス」の良さを、どういうふうに作品に反映させていくのだろうか。