コミュニケーション

 僕もまた北京五輪での星野監督の采配に無茶苦茶腹が立ったひとりだが、日本人からとても好かれている人だからまたあんまり非難はされないんだろうなあ、と思っていたら、TVはともかく一般の人たちのバッシングが予想以上に激しくてちょっと驚いた。この全国的なイライラ感というか、ちょっとのきっかけてあふれるように出てくるヒステリックさ、というのはかなり深刻な感じだ。
 それにしても、オリンピックで良いパフォーマンスを行えた選手というのはコーチや監督との意思疎通がとてもうまくいっている、ということがTVの画面を通してもはっきり伝わってきていて、「コミュニケーション」ということをつくづく考えてしまう。これは僕のイメージで実際はわからないが、星野監督のような、人間性の良さやある種のオーラによって人が集まり物事を遂行していくというのでは、これからは足りなくて、もっと個別の細心なコミュニケーション術のようなものが必要になっていくような気がする。一昔前に比べて、人々がナーヴァスになり過ぎていることを念頭に置いた、人間関係というか。そんなことを考えると、ほんとめんどくさい時代になったとも思うけど、、。

 昨日のブログで、携帯電話によって、音楽もコミュニケイティヴなものにどんどんなっていくように予想した。かつてのように単に作品を鑑賞していくような感じじゃなく、作品を通じてアーティストと聴き手だったり、作品によって提起される世界で聴き手と聴き手が想定する相手(例えば恋人)が対話しているような感じがもっともっと求められていく。僕のようなオールド(?)音楽ファンにしてみると、正直あまりに直球でちょっとおしゃべり過ぎな音楽にも思えるけれど。

 ITが台頭し始めた頃、経済の世界ではこれからは情報(インフォメーション)の時代だ、ということがさかんに口にされたことを覚えているけれど、これからはさしずめ「コミュニケーション」の時代だ。(僕は評論家でも何かに影響を持つ人物ではないのでこんなことを提案してみてもしょうがないけど)自分と関わっていく人たちと充実したコミュニケーションをとることができた人が、何かを達成できる、そう思う。クリエイターも、未知の人たちにちゃんと「伝える」ことを今まで以上に強く念頭において、きびしく吟味しながら、創作の技能を高めていく必要があるかもしれない。

 もちろん、アーティストとレーベルや事務所の人間のコミュニケーションの質によって成功のレベルも変わっていくだろう。(僕の場合アーティストにまかせっきりというかかなりほっといているので、あまり偉そうなことは言えない、、)