筒美京平

 先日TVで黒人演歌歌手のジェロが堺正章の「さらば恋人」をカヴァーしているのを聴きながら、「ますますわけのわからない時代になっていくなあ。」とため息ついていたのだが、あらためて聴くといい曲だった。この曲も筒美京平なのか、と思って、10年以上前に買った彼の「HISTORY」という計8枚のCDを久しぶりに聞き直してみた。
 僕はレーベルと平行して、ずっと作家の楽曲提供のコーディネートをやっているのだが、ここ最近日本の歌謡曲の歴史というか大ヒット曲のメロディーをあらためてチェックし直さなければという必要も感じていたので、いいタイミングだった。
 筒美京平といえば日本の歌謡曲の代名詞とも言える巨大な才能なので、僕がここでああだこうだ語っても仕方ないと思うのだが、久しぶりに聴いて思ったのは、どんなジャンルの曲も例外なくすべて「品がいい」ということだ。これだけたくさんのヒット曲を書いていれば、いくつかは、エグいくらいのフックの強いメロディーがありそうなのだが、実はそうではなくて、メロディーのつなぎ方の妙とアレンジとの組み合わせ、そして何より歌詞とのハマり具合、という総合要素で高レベルのヒット曲を作っていたのだ。一曲の中においしいメロディーをいっぱい詰め込む彼のやり方は、後に桑田圭祐もつんくも継承しているが、本家はやっぱりやり方がスマートだ。天才たる所以なのだろう。
 でも今回痛感したのは、「歌詞とのハマり具合」の大事さで、ポップスのメロディーのパターンは出尽くして新鮮なものを生み出すのがほとんど困難なこの時代、言葉とメロディーをがっちり合わせる、というか言葉を重視したメロディーが大事になってくると思う。
 今のところ、楽曲提供の場合、作曲と作詞はほとんど別に進行するのだが、作詞家と作曲家がもっとせめぎ合うような制作スタイルを見直す必要がある気がする。
 加えて言うなら、「アルバム」という形の価値が下がり、楽曲単位で判断されるようになってきている今、70年代から80年代前半の歌謡界のような、ヒット作りのプロフェッショナリズムを、うまく今の時代にあった形でいかに再現できるか、その辺が今後のメジャーレーベルの浮沈の鍵を握ってるように思う。

 などと、いつものクセで真面目に語ってしまったが、最後に僕の好きな筒美京平作品を。
AORやメロウなもの好きとしては、野口五郎「グッドラック」稲垣潤一「夏のクラクション」今井美樹「野生の風」とかは昔から愛聴していた。アイドルものでは、やっぱり少年隊「ABC」は何度聴いても完璧だ。ちょっとマニアックだけど沖田浩之「E気持」は聴いていてずっとにやけてしまう。(「波乗りジョニー」は絶対これをモチーフにしてると思うんだけど。)客観的に見たら、近藤真彦田原俊彦、少年隊、CCB、小泉今日子中山美穂、荻野目洋子などの作品を量産してるころはちょっと神がかってる感じさえした。歌い手のカラーや曲のコンセプトを明確にわかりやすく表現されているものばかりだ。

 今は、とりあえず音楽関係者の誰もが「いい曲」がほしいというのが合言葉のようになっているが、歌い手の力が最も発揮できるものを見極め、そこにコンセプトやカラー/世界観を明確にして味付けするみたいな、基本的な作業を念入りに見直すことがまず優先されるように思う。