エミリー・ウングワレー(2)

 再び、エミリー・ウングワレー展へ。それまで存在も知らなかった、アポリジニのおばあさんの作品に何故そんなに惹かれてしまったのか、自分でもきっちり説明できないところもあるのだが。
 2度目ともなると、細部をチェックできるもので、ある作品の所有者がエルトン・ジョンなのに気づいた。う〜ん、いろんな意味でさすがエルトン・ジョン

 前回も書いたのだが、彼女は78歳から死ぬ86歳までの8年間で、3000以上の作品を書いたらしく、これは毎日一枚のペースじゃないと無理な勘定だ。見てみるとわかるが、ぱっとみただけでも何ヶ月もかかりそうな巨大なものもけっこうあるから、毎日毎日ただただ描き続けたということでは説明できないような、相当なエネルギーが必要だ。そして、その間2年くらいのタームで、がらっと一転するようなかなり大きな作風の変化を試みている。死ぬ直前に描いた「ラスト・シリーズ」などは、アポリジニの伝統からも超越したかのような全く新しい作風になっている。人間は年をとってもこんなに大きく変化できる、ということが驚きだったし、何か勇気づけられることだった。

 細野晴臣の「アンビエント・ドライヴァー」という本をちょうど読み終わったのだが、都市音楽のパイオニアのような彼が積極的に自然に向かい本来の人間の持つ機能を回復するように試みている、という事実は興味深かったし、とても共感できた。

 僕など根っからの田舎者のくせに、幼い頃からの都会へのあこがれだけを糧に、都市的な洗練されたものを追いかけて必死に飲み込んできたわけだけど、それだけではこれからの世界ではどこへもたどりつかないことを本能的に察知して、今回のエミリーへ過剰なほど反応してしまったのかもしれない。情報や偏見、先入観でものを見ないで、ありのままの形で物事を見れるような感じに近づきたい、という願望だ。「浮き輪」の栓をぬいてぎゅっと押しつぶすように、今まで自分に入っていたものを一回吐き出して、内面的に「スッカラカン」になってみたい気持ちがある。