エミリー・ウングワレー

 昨日はエミリー・ウングワレー展を見に、国立新美術館へ。美術展はめったに行かないのだが、最近どうも精神的スランプ気味だったのでうちの奥さんが見に行くように勧めてくれたのだ。
 考えてみると、僕がふだん接している「作品」は、活字だったり、自分の好みの音楽に限定されていて、知らないうちにアプローチが「感じる」じゃなくて「理解する」方向に固定されてしまっていたことに気づいた。
 会場に一歩踏み入ったとたん、僕はこのアポオリジニのおばあさんと、1%も共通するバックグランドはなく、ありったけの知識や記憶や、想像力までも動員しても理解不可能なのだと察知した。これはもう、何も考えず、ただただ、見て見てみるしかないと思った。
 エミリーさんは、アポリジニの伝統のボディペインティングや砂絵を書いていて、60歳代後半からバティック(布の染め物のようなもの)を作り始め、78歳から86歳で亡くなるまでカンヴァス画を書いたらしい。それも3000枚から4000枚も。今回はそのカンヴァス画がメインで、3m〜4mもある巨大なものも数多くあって、そこに様々な色彩で、点描や線を描き込まれていた。
 先入観で、こういう先住民族の人たちの作品は強い原色を使うシンプルなものなんじゃないかと思っていたが、もっと複雑で微妙なものが多く、鮮やかな色合いもあれば、モノトーンもあり、日本の屏風絵みたいな色使いもあり、という風にバリエーションも実に豊かだった。
 一番驚いたのが、78歳からの8年間の間に、何度もものすごい大きな作風の転換を行っていたことで、基本的にダイナミックでエネルギーに満ちていて、とてもそんな年齢の人の作品には思えない。ただ、見る人を圧倒するような巨大な作品でも、こちらに向かって威圧してくるようなところはない。これは、作家としての個人のエゴのようなエネルギーではなく、あくまでも大きな自然のエネルギーを自分という媒介を通して表現しているからだろう、と想像した。

 大きくてエネルギーをこめたような作品群が数多く並ぶなか、出口近くに彼女の亡くなる2週間前に書いた「ラスト・シリーズ」とカテゴライズされている作品があって、ものすごく惹かれてしまった。刷毛でさらっと書かれているのだが、心安まるような美しさがある。決して「水墨画」のように淡くなっていくのではなく、シンプルだが鮮やかでエネルギーもあるが、同時にやさしい。正直、家にほしい!と思ってしまった。