「ペット・サウンズ」ジム・フジーリ

vozrecords2008-05-30

 ジム・フジーリ著「ペット・サウンズ」(村上春樹訳)は、ビーチボーイズブライアン・ウィルソンの伝記のたぐいを読んでいるファンには、とりたてて驚くようなエピソードが出てくる訳ではない。まして、「ペット・サウンズ」を聴いたことのない人をぐいぐい引き込むようなおもしろい読み物にはなっていない。
 でも、なぜか心惹かれるところがある。それは、もうこの作者が自分の生涯をかけて、物書きとしての責任すべてをかけて、「ペット・サウンズ」が大好きだあー、ということを最初から最後まで同じテンションで訴えてかけてくるからだ。
 ビーチボーイズ、というよりブライアン・ウィルソンの伝記をベースにはしているが、彼の心情を歌詞から積極的に読み取ろうとし、果てはミュージシャン顔負けなほど各曲のコード進行分析、楽器構成、コーラスの構成、メンバーも気づかないレベルのミスと思えるところなども検証している。作者自身の生い立ちも時々クロスさせていく。もう、自分の全智を持って、このアルバムに立ち向かっている、といった感じだ。

 「ペットサウンズ」は僕も、特に大学生の頃夢中になって聴いた。幼少期から今に至るまで、僕は自分が純粋だった時期があったという記憶がないので、「イノセンス」みたいな言葉はとても使えないのだが、十代中頃から二十代の初めにかけての、なんだか妙に心が敏感な頃(いつも胸の中が”じくじく”していた記憶がある)、すごく共振するような感じをがあったアルバムだった。この本でもそういう表現が出てくるが、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の音楽版みたいなところがあるかもしれない。

 今、あらためて「ペットサウンズ」を聴くと、年をとったせいかやや客観的に聴いてしまうが、何度かゆっくりと、せつなさがこみあげてくる瞬間はある。昔ほどの感情移入がない分、かえって音楽的にいかに「オリジナル」かということは、よくわかる。
 誰にも全く似ていない、複雑な複雑なサウンド、メロディー、コーラス。なのに、とてもきれいで、聴きやすい。この、とても難しくレベルの高いことをやっているのに、受け手には親しみやすくわかりやすい、というのは僕の最も好きな表現スタイルなのだが、「ペットサウンズ」こそその究極の形かもしれない。

 そしてつくづく思うのは、この作者のようにアーティストのひとつのアルバムを、何年もかけてあらゆる角度から徹底的に愛おしむように聴き倒す、というような行為が、これからも数知れないほど発売される新しい作品に対して、成立しうる得るのか、ということだ。