クライヴ・デイヴィス、ルー・アドラー、ペギー・リプトン

vozrecords2008-05-08

 仕事柄、歴史的な”音楽業界人”には興味があるのだが、アーティストと違って、書物は少ない。興味が持つ人が限られているから当然のことだけど。
さて、僕の考える音楽業界史上NO.1の人物と言えば、実績、実力、運、あらゆる面での総合判断だけど、やっぱりクライヴ・デイヴィスだろう。CBSレコードの社長から、アリスタ・レコード、Jレコードなどを立ち上げ、今はソニー/BMGノースアメリカのトップらしい。この人の凄いところは、ワンマンなため、時折トップの座を(実質)追い出されるのだが、その度見事に復活するところだ。保守的だったCBSレコードをジャニス・ジョプリンなどに象徴されるロック路線に改革し大成功させたが追い出されてしまい、その後アリスタを立ち上げバリーマニロウ、ホィットニー・ヒューストン、サンタナなどを大ヒットさせ、アリスタを追い出された後には、Jレコードを立ち上げアリシア・キーズやロッド・スッチュワートなどを大ヒットさせている。下の人間にとっては目の上のたんこぶで、もう「あんたの時代じゃないよ」と言われクーデターにあうのだが、その都度きっちり落とし前をつけている。その度に業界全体がやっぱりあの人は凄い、と言う声が高まっていくのだ。今年76歳の今は、話題のレオナ・ルイスの売り出しの先頭に立っているとのことで、もう、ここまで成功し続けると僕にはちょっと”化け物”に思えて、憧れる気にもならない。


 そのクライヴ・デイヴィスがかなり昔に書いた「レコードビジネスの内側(INSIDE THE RECORD BUSINESS)」という本があって、久しぶりにペラペラめくっているとルー・アドラーについての記述があった。ルー・アドラーキャロル・キングの「つづれおり」を出したODE(オード)レーベルのオーナーでアルバムのプロデューサーである。個人でレーベルをやっている僕にはクライヴより、ずっと興味がある存在だ。なにせ、「つづれおり」のプロデューサーだ。ちょっと地味だが、こだわりの職人みたいな人物を勝手に想像していた。

 そこで、クライヴが描写するルー・アドラー像なのだが、「彼はたいへん粋な男で、極上のワインを飲み、着るものに金をかけ、数台の高級車を乗り回し、いつも美女をしたがえていた。」とある。おおっと思い、ネットでいろいろ見てみたのだが「60年代から70年代にかけて業界を代表するプレイボーイ」なる記述があって、彼とつき合っていた女優、歌手の名前が書いてあった。うーん、彼もまたクライヴと違った意味で、僕が目標とするには無理がある人物のようだ。
 クライヴのルー(ファーストネームだけにすると、なんか”大柴”と続けたくなってしまう)に対する、最もおもしろい評価は「ちょっぴりいけるアーティストをよく見つけてきて、たいへん素晴らしいアルバムを制作する」というところだ。作品の出来が良くて、会ってみると実際はちゃんと歌えなかったり、ライヴができなかったりすることが多かったようだ。そのへんはプロデューサーとして間違いなく腕が良かった証拠で、そこはクライヴも認めているのだが、結局ルーとの契約を破棄する訳で、そこには作品が良くても、アーティストとしてなにか抜きん出たものがなければメジャーレーベルで売るべきではない、という判断があったのだろう。
 僕も15年大きなレコード会社で働いた中で、メジャーでやるには音楽性以上に本人のキャラクターというか、”ちょうちんあんこう”が魚を集めるような何か特別な吸引力のようなものが必要なことを痛感してきた。そういう才能がない場合は、それにとって変わる猛烈な、そして強靭な野心がいる。ただ、僕はやっぱり、作品自体の音楽性である程度完結させたい(100%ではなくても)気持ちを変えられなかったわけで、でも、このスタンスでやっていたら会社の足手まといになり続けるだけだろう、だったら自分でリスクをしょうべきじゃないか、という考えで自分でレーベルを作るに至ったわけだ。
 そんな青臭い僕に比べたらルーさん(さんをつけるともっと大柴っぽくなるなあ)は相当なビジネスマンだった。で、彼がビジネスマンで、女ったらしであることはもちろん「つづれおり」の評価になんら瑕(きず)をつけるものでもない。ちなみに彼は、70年代中頃にはなんと映画界にも進出して、「チーチ&チョン」というコメディアンの映画の制作と監督までやっている。
 さて、クライヴ・デイヴィスと仕事をしていた頃、ルー・アドラーが”したがえていたた美女”がペギー・リプトンという女優だ。後にクインシー・ジョーンズの奥さんになる人で、映画「ツイン・ピークス」にも出てたらしい。僕はルー・アドラーが手がけた彼女のアルバムを持っている。なぜ買ったかと言うと、キャロル・キング、とローラ・ニーロの曲を取り上げていて、特にキャロル・キングは僕の知らない曲もあったからだ。今思うと後に作られる「つづれおり」に繋がる要素が感じられないわけでもないが、作品としては「よくできた」レベルから抜け出てはいない。当然「つづれおり」に比べるべくもない。ただ、音楽好きの中には、とくになにも予定のない日曜の午後などに、あまり有名じゃない人のあまり良すぎない作品を聴きたくなることがあると思うけど(あれ?そんなのひょっとして、僕だけだろうか?)、そんなときにはぴったりなアルバムだ。
 ちなみにこのペギーさん、後にクインシー・ジョーンズやルー・アドラーとつき合う以前に、エルヴィス・プレスリーポール・マッカートニーともつき合っていたことを本で告白したようだ。しかし、業界の人たちってなんて、エネルギッシュなんだろう、、。