尾崎豊、ルイード・ライヴ

 4月25日は尾崎豊が亡くなった日とのことで、もう16年たつらしい。僕は、まだ彼がデビュー間もない頃、新宿ルイードでの2度目のライヴを見ていて、今も強く記憶に残っている。
大学2年のときだったと思うが、当時僕はブルース・スプリングスティーンが好きで、彼の影響を感じさせる日本人アーティストもチェックしていた。そんなとき「15の夜」という曲をラジオで聴いて、サウンドスプリングスティーン・スタイルだが他のアーティストと明らかに異質なものを感じて興味を持った。十代特有の、胸の中にいつも鬱積していてうまく吐き出せない気持ちを、揺さぶって解放するかのような独特な恍惚感があった。また自分とほぼ同年代というのも興味を持った要因だった。
 その日たまたま「ぴあ」を読んでいて、彼のライヴがあるのを知って、ふらっと電車に乗って新宿に行き、会場で当日券を買い求めた。僕が買った後、係員同士で「もう無理だ、売るなと言っただろ」などとすごくもめていたので、間違ってチケットを売ってくれたおかげで僕は入ることが出来たようだった。実際、会場は今まで経験したことがないほどの満員で、まるで通勤電車のなかのように、僕は後ろの壁に押し付けられて、全く動けない状態でライヴを見ていた。
 僕は昔から、音楽への強い愛情や憧れが動機となっているアーティストに惹かれ、自分の強いエゴのために音楽を「振り回している」感じのする人には嫌悪感を感じていて、今もそれは変わっていない。僕のベーシックな、というより唯一の音楽の判断基準だ。(スプリングスティーンだって、カリスマとか英雄視されているが、彼ほど古い音楽への愛情と敬意を感じさせる人はそうはいない。)その日見た彼のライヴは、後者のニュアンスが強いものだった。だが、同時にどうしようもなく強く気持ちを揺さぶられたのも事実で、そのライヴの間中、嫌悪感と感動の間を気持ちが何度もいったりきたりしていた。僕の場合、どんなアーティストのライヴを見ても、生理的に、好きか嫌いか自分でも不思議なほどに明確なので、この相反する二つの思いに揺れたような感覚は、今まででたった一度きり、この時だけだ、だから、記憶にも強く残っているのだろう。
 今はもう彼の曲を個人的に聴くことはほとんどないが、当時から変わらず好きなのは1stに入っている「街の風景」とセカンドに入っている「ダンスホール」という曲だ。後から、この2曲とも彼がレコード会社と契約する以前に書いた曲だと知った。その頃の彼は「ロックンロール」とはどんなものかも知らなかったらしく、とても内向的な雰囲気で、ギター弾き語りでデモ・テープに入れたレパートリーらしい。その後彼は、アーティストの内面に深く切り込んでくる力のあるプロデューサーと編集者に、触発されることをきっかけにして、表現者としてどんどん自分を追い込んでいき、その結果いわゆる「伝説」となるああいった激しいプロフィールを残すことになったわけだが、この2曲はその以前の、まだ素朴で瑞々しい感覚を残しているように思う。僕が強く惹かれたのは、彼のそういう部分だったのだと、今ははっきりとわかる。