リオのカーニヴァル

 今日TVのニュースでブラジルのリオのカーニヴァルの模様を報じていたけど、実は僕もカーニヴァルを見に、じゃなく、踊りに、行ったことがある。
前のブログの続きになるんだけどが、1996年に僕はベイビーフェイスのアルバムの発売と同時に、ソニーミュージックの中に新しくできた邦楽のセクションに異動して、そこで比屋定篤子というシンガーの仕事をやることになり、彼女がボサノヴァやブラジル音楽の影響の強いポップスをやっていることもあって、聴く音楽がR&Bからブラジル音楽に移ってしまった。そして、決定的だったのがレニーニマルコス・スザーノのライヴだった。
 当時R&Bのサウンドの流行はやたらチキチキチキチキいう、世相を反映してるのだろう、なんか閉塞感の強いものになっていて、70年代後半に洋楽を聴き始めてE,W&Fやスティーヴィー・ワンダーのような開放感に満ちたものが根深く刷り込まれている僕には、ちょっとなあ、と思っていたときだったので、彼らのサウンドにびっくりして、僕の好きなグルーヴはこっちのほうにあると思ってしまったのだ。
 そんなわけでしばらくブラジル音楽を集中して聴くようになり、ついにはブラジルのカーニヴァルに踊りいくということにまでなった。ちょうど比屋定のマネージメントをやっていたのがブラジル音楽のライターとして第一人者の中原仁さんで、彼が行くと言うのを聞いて、ついていかせてほしいと懇願したのだ。1999年のことだった。
 場所はリオではなくバイーア(サルバドール)。ブラジル音楽を好きな人は誰もが一番興味を持つ都市だ。ノリで行くことになったのはいいが、いざ踊りに行く日にはなんかすごくビビってしまったのを覚えている。僕は子どもの頃から、祭りでみんなで踊ったりするのが恥ずかしくてしょうがないたちだったのだ。最初はまいったなあと思いながら苦笑い浮かべてたのだけど、わざわざここまで来て何を躊躇しているのだと自分を叱咤して、強引にリズムに乗り始めたら途中からものすごく楽しくなってしまい、最後はものすごいテンションになってしまって、一緒に行った人から後で「そんなキャラじゃないと思ってました。」とまで言われた。パレードしている途中、歓声が聞こえる方を見上げてみると、高い建物のバルコニーからジルベルト・ジルが手を振っていたのが見えた。生では見れなかったが、翌日TVを見るとカエターノ・ベローゾがまっ黄色の衣装を着て踊っていた。あのダンディーなカエターノもカーニヴァルにはこんなにハメをはずすのかと、なんか感激した。
 今思い出しても、自分があそこまでハイになったのは唯一の体験だ。20代の頃、レコードの営業の仕事で青森を担当していた頃、地元のレコード屋さんのご好意で「ねぶた祭」で踊らせてもらったことがあって(僕はけっこう祭り好きなのだろうか、、)、そのときもかなり盛り上がったのだが。カーニヴァルとか祭りで熱狂的に踊るというのは、かなりの恍惚感があって、これはやみつきになるのは当然だし、はるか昔から、日頃さまざまな抑圧をうけてる民衆の気持ちを解放する装置として、必須のものだったんだなあ、とよくわかる。
 音楽やリズムの本来持つパワーの凄さ(怖さ、ですらあるけど)を再認識できた経験だった。