すし二郎

 年末から、なぜかNHKの朝ドラ「ちりとてちん」を見るようになってしまったんだけど、渡瀬恒彦の落語家の師匠というキャスティングには感心してしまう。お兄さんの渡哲也のほうは、「東京流れ者」「紅の流れ星」「仁義の墓場」などという映画に実は僕はけっこうはまったことがあったけど、弟のほうは、イマイチ地味というかお兄さんとの比較に葛藤している感じが画面から出ていたような印象があった。それがいつの間にかとても味のあるいい感じになっていてびっくりした。お兄さんとは別の「自分が登るべき山」を見つけてコツコツ登ってきて、ある高みに達したんだろうなあ、と勝手に推測している。今はお兄さんよりいいかもしれないと思う。
 「高みに達する」というと、昨日TVでやっていた「すし二郎」の小野二郎さんのドキュメンタリーは面白かった。自分に合った仕事を探すとか言うんじゃなくて、自分の方を仕事に合わせて、それに没頭し、かついつも上を目指すのだという意見に説得力があった。僕は昔から「自分探し」という言葉になぜかすごく抵抗感があって、自分なんか探さなくても、もっとやるべきことがあるだろう、というか、とにかくなにかをやってみて晩年にやっと振り返ったとき自分はこんなだったかなあ、などと思うくらいでいいんじゃないかなどと、考えてしまうタチなので、こういう意見を聞くと妙に納得してしまう。
 番組後半でフレンチ・シェフのジョエル・ロブションに寿司を出すのだが、ロブションが彼の寿司を「清らか」だと評したことがすごく印象に残った。ケタ違いの修練を重ね続けて、たどりついた境地が「清らか」というのは、なにかとても素晴らしいことに思える。腕に何の技術もない僕は一生味わえない境地だろうけど、そういうことがあるということを知れただけでも嬉しい気がした。