ピアノマン〜バリー・マン

vozrecords2007-11-19

 バート・バカラックキャロル・キングなどと同じ時代にキャリアをスタートさせ、彼らとまったく遜色のない数の素晴らしいヒット曲を生み出している名ソング・ライター、バリー・マン。日本でも熱心なポップス・ファンからはしっかりリスペクトされているけど、一般的にはバカラック、キングに比べると知名度はぐっとさがってしまう。確かにバカラックは流麗でおしゃれだ。キャロル・キングは親しみやすく切ない。それに比べると彼はちょっと重厚で渋いかもしれない。
 僕が彼のことを知ったのは高校くらいだったろうか。大瀧詠一の「ロングバケーション」が大ヒットしたおかげで、そのルーツともいえる60年代のフィル・スペクターの作品もラジオでよく流れるようになって、そのいくつかの曲の作者として認知したのが最初のような気もするし、同じ頃山下達郎がラジオ番組で一番好きな作曲家として紹介したのを聞いたのが最初かもしれない。また同じ年(1981年)クインシー・ジョーンズが「愛のコリーダ」を発表して、そこからのシングル「Just Once」(歌はジェイムス・イングラム)をスゴく好きになってその作者が彼だというのにも気づいた。当時僕にとっては遠い昔のロマンティックなオールディーズと最新ヒットとして聴いた素晴らしいバラードが同じ作曲家が作ったものだということに気づいたのは、すごく驚きだった。
 その「Just Once」だが、その頃桑田圭祐がライヴ盤でカバーしたり、最近では平井堅の「瞳を閉じて」のイントロが似ていると一部で話題になったりもしたので、日本でもある程度は認知されているようだが、これはもう「バラードの教科書」とも呼べる、まったくケチをつけるところのない曲だと思う。そして、彼は作詞家のシンシア・ワイルと1961年に結婚して以来今日までずっと曲を一緒に作っていて、ふたりはアメリカの音楽業界きってのおしどり夫婦として名高いが、シンシアの歌詞もいつも素晴らしい。例えばこの曲の冒頭の歌詞" I did my best , but I guess my best wasn't good enough,"自分にとってはbestでも、相手にとってはgoodですらないという、日本の学校英語でもたやすく理解できる言い回しなのに、なんともいえないせつなさと苦さが伝わってきて、単なる田舎のあか抜けない高校生でしかなかった僕でもうなってしまったものだ。

 さて、そのバリー・マンだが、企画ものを別にすればソロ・アルバムが5 枚あるのだが、1980年の「Barry Mann」だけがCD化されていない。ピアノの前にバリー、そして後ろにシンシア、いいジャケット写真だ。内容も”好敵手”キャロル・キングとふたりで歌と鍵盤の共演を果たしている曲が2曲あり、後にリンダ・ロンシュタットとアーロン・ネヴィルがカヴァーして全米2位の大ヒットになりグラミー賞までとった「DON'T KNOW MUCH」のオリジナル・ヴァージョンも入っている。ちなみにリリースはカサブランカ・レコードで当時ドナ・サマーや「YMCA」などディスコ・ヒットで栄華を極めていたところだ。会社は連日パーティー状態で、アーティストも社員も昼からラリっていたという伝説まであるのだが、そういうところからこういう良質でエヴァーグリーンなアルバムが発売されていたのだから、アメリカの音楽業界は奥が深い。
 僕が彼の曲に強く惹かれるのは、胸の奥に強い情熱があふれているのにそれをぐっとこらえようとするストイズムが適度に働いていて、そのせいでかえって純度の高いセンチメンタリズムが濾過されてじわじわと伝わってくる、そんな印象を感じるからだ。わかりにくい言い方かなあ。

Just Once /James Ingram