ダニー・ハサウェイ

 10月1日。今日はダニー・ハサウェイの誕生日らしい。もちろん彼は既に亡くなっているが、存命だったら62歳だ。どんなパフォーマンスをしていただろう。
 彼は今では黒人の間だけに限らず日本の若いミュージシャンからも非常に尊敬されている存在であるが、彼が亡くなった当時(1979年)から80年代半ばくらいまでは、決して高く評価されていなかったと記憶している。評価されたのは「LIVE」だけで、それ以外のアルバムはなかなか手に入らなかったし、「LIVE」以外の彼の曲について話をできる相手もなかなか見つからなかった。80年代、時代がアッパーでにぎやかになっていくなかで、彼の内省的なトーンは相性が悪かったのだろう。僕もひっそりと狭いアパートで彼のレコードを聴いていた。80年代後半あたりになると、若い黒人ミュージシャンたちが、自由や平和を求める彼の曲を次々ととりあげはじめ、イギリスや日本ではクラブシーンが彼の知的でいながら熱情のこもったグルーヴにスポットライトをあてた。わりと長く音楽を聴いていくと、そういったアーティストと世間の評価の変遷を見ることができる。ちなみに個人的には彼の「You Were Meant For Me 」という曲が好きなのだが、この曲はいまだに評価されていない。シングルにもなった曲なのに、、。

 それからダニー・ハサウェイというと、いつも思い出すのはピーボ・ブライソンのインタビューに立ち会ったときのことだ。彼は「美女と野獣」「アラジン」のふたつのディズニー映画の主題歌の大ヒットによって、ソウル・シンガーというよりポピュラ−シンガーとしてのステイタスを築いているが(彼の初期のアルバムは素晴らしいソウル・アルバムなのだが、、)、ダニー亡き後、ロバータ・フラックのデュエット・パートナーに抜擢され有名になった人だ。91年頃仕事で彼のインタビューに立ち会う機会があって、インタビュアーがダニーについて聞くと、彼は神妙な面持ちで話し始めた。ダニーはNYのホテルで転落死(自殺と言われている)したのだが、ちょうどそのとき彼は友人たちと食事をしていて、彼だけが何かが落ちるものすごく大きな音が聞こえたのだと。そして、何時間かたって友人からダニーの死を知らされて非常に驚いたと。僕はそのとき「そんなまさか。」と思ったのだけど、彼はいたって真剣な表情だった。
 今この話を思い出すときに考えるのは、このことの真偽はどうかわからないし、疑う必要もないと思う。もし本人が実際にそう感じたとするならば、その後彼がダニーの後継者としてロバータ・フラックのパートナーになったとき、相当な覚悟というか、少し大げさだが天命のような使命感で挑んではないか、と推測できる。そして、それは間違いなく彼のアーティストとしての能力を飛躍させる力になったのではないかと思う。