夏のポップス〜AOR

vozrecords2007-08-19

 かなり一部の音楽ファン、特に1950年代終わりから1960年代に生まれの人たちの一部に今も静かに支持されているジャンル、AOR。1964年生まれの僕も時代的にも相当ど真ん中で、新潟の小さな町に生まれ育ったコンプレックスもあってか、その都会的なサウンドに猛烈に憧れを抱きながら聴いたものだ。AORはNYの摩天楼とか、LAのビーチやフリーウェイとかをイメージさせ、当時はそれが魅力的だったのだ。今の世の中ではあまり効力がなさそうだけど。
 今ではいくつかAORを扱ったCDガイドブックがあるが、僕が学生の頃は、今の新党日本代表の田中康夫氏が小説家当時に書いたエッセイ「ぼくだけの東京ドライヴ」(初刊時は「たまらなく、アーベイン」というタイトルだった)が唯一のしかも相当マニアックなもので、その本を片手にLPを探したこともある。そんな孤独で地道な行動もたまには報われるもので、僕がソニーミュージックで働いていた頃、AORのコンピレーションアルバムの選曲をやらせてもらえたことがある。バレンタインに聴くラヴ・ソング集というテーマだったのに、その当時CD化されてなかったマニアな曲を相当入れさせてもらった。いろいろな面で寛容な時代だった。
 思い起こすと、AORは特にロックファンから「軟弱で甘ったるいだけの音楽」と、長い間蔑視され続けてきた。音楽業界に入って何人か熱心なAOR好きの方と知り合ったけど、以前はAOR好きだと知るとなにかお互い独特の照れ笑いを浮かべてしまう感じがあった。決して大声では言えないような共通の趣味があるみたいに。その後、クラブシーンで再評価されるものが多く出たりして、多少復権した感はある。
 最初に言った摩天楼やフリーウェイ云々というイメージじゃないけど、AORを好む人というのは、さえない毎日の中でひょっとすると映画みたいなロマンスが突然あるかもと根拠もなく期待する、能天気な妄想癖みたいな気質があるようだ。そして、そういう気質は個人的には大好きだし、人生のストレスを若干でも緩和してくれるエッセンスのようにも思う。また、AORの良いところは、カリスマ性や芸術家性はまったくないが、シンプルに良いメロディーを書く作家や職人的なミュージシャン、声質、技量ともにすぐれたヴォーカリストにチャンスを与えたところでもある。
 かく言う僕は年齢とともに能天気な妄想癖が減少してしまいAORを聴くこともめっきり減っているが、夏になるとやっぱり聴きたくなってしまう。今日聴いていたのはロビー・デュークの「COME LET US REASON」。なんか、ぱっと見、スティーヴンキングとか怖い小説の表紙みたいだが、ものすごく爽快で心地よい内容だ。