比屋定篤子、レコーディングの思い出

vozrecords2006-11-29

 昨夜、渋谷の7th Floor比屋定篤子(ひやじょうあつこ)のライヴを見に行った。
 彼女は僕がソニー・ミュージックで働いていた時に担当していたアーティストで、デビュー時(97年)には宣伝を、サードアルバム「ルア・ラランジャ」(99年、残念ながら廃盤)では制作を担当した。このアルバムは特にディレクターになって初めて作ったアルバムなので、思い出深い。
 あらためて思い出すとかなり盛りだくさんの内容だった。まず村田陽一さんプロデュースで、古川昌義さん(G)、島健さん(P)、岡沢章さん(B)、村上”ポンタ”秀一さん(Dr)というメンバーの、冗談を言い合いながらも一切無駄のない、プロフェッショナルさを見せつけられたセッション(僕はただポカンとして見ているばかりで、「よろしくお願いします。」と「ありがとうございました。」しかしゃべらなかったように思う。)当時はまだ若手だった(もちろん今はみんな凄い)松本圭司さん(P)、福原将宣さん(G)、田中義人さん(G)、坂田学さん(Dr)たちが話し合いながら、試行錯誤しながら作っていったセッション、保谷市のスタジオで行われたリトルテンポによる異次元な感じのセッション。デビュー以来今も彼女のギターをつとめているショーロクラブ笹子重治さん(G)のセッションではチェロの溝口肇さんにマルコス・スザーノ(別々に録ったのだけれど)。そして、きわめつけはイヴァン・リンスとのデュエット、、、。
 新人ディレクターにとってはそれぞれのセッションのコーディネートが精一杯でディレクションなんてとてもできていなかったが、このときに現場で見たり聞いたりしたことが、今こうやってレーベル作って、作品を制作している基盤になっているのは間違いない。
 それから、彼女を担当しているときに、音楽的には「洗練」や「都会的なもの」を求めながらも、人間的なあたたかい感じ(「洗練」に対して言うなら「素朴」)も同時に出したいと思っていて、その”落としどころ”にいつも腐心していたように思う。これはまた、ボズレコードの作品にも言えていて、”洗練と素朴”その間を揺れている感じが今もある。どちらかに振り切ってしまえば、きっともっと売れているのかなあ、とも思いながらも、いまも変わらずそういうものを作っているというのは、かなり自分の根っこにつながっていることなのかもしれないとも思う。
 で、今の彼女と言えば、人間的なあたたかい方向へ思い切り振り切れていて、その分、本人もお客さんもとてもリラックスできて、心地よい空間ができていた。歌も、こなれたところが微塵もないのがえらい。これはすごく大事なことだと思う。そして、なによりもお客さんがみんな自分の親戚か誰かのライヴに来たかのような、あたたかい視線でステージを見守っていて、こういうのってほんとうにめずらしいなあ、と感心した。