ブルース・スプリングスティーン「Magic」

vozrecords2007-10-24

 ある程度長い年月音楽を聴き続けてきていると、中高生の頃夢中になった音楽がいかに無意識に、強く、自分に刻み込まれているかに気づかされる。そういう意味で、僕の最大の音楽的ヒーローはこの人だ。
 最初に知ったのは音より先に写真だった。当時(1978年頃?)はまだそんなに彼の情報は日本に入ってきてなくて、何かの音楽雑誌のモノクロのページに彼のライヴ写真が2枚、6〜7cm四方のサイズで載っていたのをはじめて見た。一枚はツイードのジャケットにジーンズ、もう一枚は黒のスリーピースの上着を脱いだスタイルで、当時の他のロックミュージシャンの服装と全然違っていた。映画「タクシードライバー」のポスターのうつむいて歩くロバート・デ・ニーロや革のつなぎを着た松田優作なんかと同じ匂いと言うか、都会の影の部分を表現するヒーロー像だと確信した。70年後半というのは何かそういう男が魅力的だった。2年前くらいにようやく1975年の彼のライヴ映像が発表されてそのカッコ良さを再確認したのだが(ちょっとヴィンセント・ギャロみたいだ)、ボブ・ディランビートルズでもそうだが、歴史に残るロックアーティストの若い頃は、例外なくただミーハーにカッコいいのだ。スプリングスティーンの場合、最近「ロックの神棚」に崇め奉られているようで、そういうミーハーな部分が今まであまり語られてこなかったのは残念だ。
 
 実はレコード会社勤務時代に1年だけ彼の日本サイドの担当ディレクターをやらせてもらった。ただ、オリジナルアルバムの発売はなく、前の年にリリースされたアルバムからのシングルカット的なミニアルバムを担当したきりで、本人に会うこともなかった。その後邦楽の部署に異動してしばらくすると、彼が来日したのだが、そのとき関係者パーティーに呼んでもらってそこで本人にはじめて会った。「あなたの担当だったんだけど、アルバムリリースがなくてすごく残念だった。」という僕の英語のぶつ切れ加減が、何かとがめているかのように響いたのか、彼は「アイムソーリー!アイムソーリー!」と少しおどけるように何度も日本人風な深いお辞儀をしながら答えた。憧れの人に初めて会って、いきなりあやまらせちゃたよ、となんだか間の抜けた後味が残ったが、貴重な思い出だ。

 さて、デビューから35年近い彼の歩みは、街のチンピラ(猛烈にクリエイティヴなチンピラだが)がアメリカを代表する"作家”に成長していく、興味深い変遷だ。ロック的には「ジジイになってもワルだぜー」みたいなほうがカッコいいのかもしれないが、彼のように、自分の地位や影響力が高まっていくのにつれ、一般の人々との関わりの中で自分がやるべきものを常に自問しながら、音楽を毎回シフトさせていくやり方に僕はすごく敬意を感じる。

 そして今回の新作「Magic」もありがたいことに少しだけ早く聴くことが出来て、ずっと聴いていた。この人のロックは昔から「ネガティヴな状況に立ちながらも、ポジティヴな方向に気持ちをドライヴさせてくれる」ものだ。ここしばらく長い間、多くのロック・アーティストが怒りや悲しみばかりを歌い、彼もそういった作品を多く発表してきてはいるが、彼の場合、どこかに「音楽的な喜び」が内蔵されていたと思う。今回も、いやここ十何年の中で最もそういうエネルギーに満ちている。イントロ数秒のフレーズだけで、気持ちが奮い立つ、そういう感覚を正直長く忘れていた。
 それから、80年頃のE.STREET BANDのサウンドをやっていたり、明らかにブライアン・ウィルソンをイメージした曲という"想定外"もあって、パワフルな中にほのかな郷愁感もスパイスとしてある。長く彼の音楽を聴いてきたものにとってはご褒美のようなアルバムなのだ。もちろん、まずは、今の時代を生きながら困難を感じている人たちに多く聴かれるべきものであるのは間違いない。